やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

休日幻想

車の免許の更新に幕張まで行く。なかなか行くのが面倒におもっていて、ズルズル延ばしてきたが観念して行くことにしたのだ。やっつけるようにパパッっと済ませて帰ってくるつもりが、予想外の人の多さで(考えてみれば日曜だからあたりまえなのだが)、久しぶり面倒だわ、といろいろ考えた。検査の列に並ぶわたしの目の前には、ざっと数えても50人ぐらいはまだ人が待っていて、1人2、3分と考えてもわたしのところに廻ってくるのは・・・と、途方に暮れて同時にあきれた。それでも免許センターの従業員の方々は、そういう声が多いのか察しているのか、するどく手際がよくテキパキこなしていた。講習の担当の先生もおそろしく腰が低くて、申し訳なさそうにしてた。「あと何分で終わりますからね」というたぐいのことをしきりに言っていた。そのせいか予定よりも10分も早く講習は終わった。
新しい免許証を受け取るのに、窓口で名前を呼ばれて取りにいくシステムになっていて、呼ばれて取りにいく人をそれぞれ見ながら、いろんな人が世の中には居るんだなとわけのわからない感情が浮んだ。当然のごとくそのうちにわたしも呼ばれて取りに行く。もしかして、わたしのような人間が、呼ばれて取りにいくわたしを見て似たようなことをおもっているのだろうか。わたしは呼ばれた名前にふさわしい人間なのだろうか。とアホなことを考えてしまった。帰りの電車の窓から公団がえらく密集してる風景を眺めた時も、似たようなことを思った。あの団地の窓の一つ一つにはわたしの知らない人が猛烈に住んでいる。わたしはもう40過ぎのおじさんと呼ばれる歳の男だが、なぜだかいまだにこんな子どもじみたことを思うことがある。
帰りに乗った電車の終点が1つ手前の駅だったので、ひと駅ぐらい歩いてみるかと思い、線路沿いの道を歩いていたら、途端にその道が行き止まりになった。しょうがなく逸れた道がわけののわからない方向に向かっているうちに、なんだか迷ってしまった。迷ってるうちに、なんかもう永遠に着かないじゃないかと思った。



ザ・クラッシュの「ロンドンコーリング」が久しぶり聴きたくなった。もしかしたら今聴いたらすごくよく聴こえるんじゃないかと思ったからだ。ロンドンコーリングはアナログ盤で持っている。じつはちゃんと聴くのは何十年ぶりかも知れない。クラッシュはわたしが18から20歳ぐらいまでによく聴いたバンドだ。その頃はクラッシュをはじめ、パンクというジャンルの音楽をよく聴いていて、それ以外は聴いてなかった。いち時期はパンク以外認めてなかった。わたしがはじめてバンドを組んでコピーしたのもクラッシュだ。久しぶり聴いてみると、パンクというよりは、とてもしなやかで、味わいのあるポップな音楽に聴こえる。わたしの感性は、十代のそれとはまったく違うものだが、じつは今の方が、ロンドンコーリングはわたしには心地よく響く。それって素敵なことだと思わないか。
その流れでローラ・ニーロ、アルグリーンと聴いて、最後はムーディーマンをガンガンかけて終わった。ムーディーマンをはじめデトロイトハウスは、わたしが唯一聴けるテクノだが、なんのことないれっきとしたブラックミュージックだと思う。 デトロイトの闇とか、デトロイトゲットーの情景だとかいわれてるけど、野田 努はブラックマシンミュージックといってた。わたしにはそれがなんともピッタリな言葉だとおもう。










ロンドン・コーリング

ロンドン・コーリング