やましいたましい

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いい準備

「いい準備をする」
今回のオリンピックでもそうで、最近スポーツ選手が次の試合に向けてのコメントをする時によく出てくる言葉だが、わたしが最初に耳にしたのは確かサッカーの本田選手だったと思う。もしかしたら本田選手も誰かのを参考にしたのかも知れないが、とにかく頻繁に使ってたのは本田選手だ。前回のワールドカップ前後に彼が出てきた時から、もう言ってた。わたしはこの言葉を初めて耳にしたときから、選手のコメントとして、じつにうまい言葉だと思っていたので、本田選手が試合後にこの言葉を口にするたび「またいった、いい準備!」と、口には出さずともなにか注目していた。そして最近はやはり使い勝手がいいのか、他の選手からも、そしてついに他ジャンルのスポーツ選手からもこのコメントが聞こえてきた時なんかは「でた、いい準備」と、浸透していくトレンドウォッチャーのごとくうれしい気持ちになったりもしたのだ。
それにしても「いい準備をする」とは、なんてうまいコメントを考えたと思う。ほとんど発明にちかいと思う。何がいいって、なにしろボヤっとしてるところいい。「いい準備をして、試合当日をむかえたいとおもいます」と言われると、まあ当日まで、戦術を組立てたり、必要な練習を怠らないことなんだろうと容易に想像しがちだが、じつのところ、具体的はことは何一つ言ってない。「いい準備」といっても、じっさい選手によっての「いい準備」は、もしかしたら、ちゃんと歯をみがいて布団敷いて夜11時には寝ることかもしれないし、夏になると日課になってる棒アイスをかかざず毎日1本は食べることかもしれない。さらに言うなら、偉大なる神アッラーのため、聖地メッカの方向に向けてひれ伏すように祈りつづけるかもしれないのだ。ようするに何をするのかは実際わからないわけ。言ってないから。選手側と受けて側の想像することが100パー合致することなどないだろう。それなのに「いい準備したいとおもいます」の言葉に「ああそうですか」と不思議と納得してしまう。このボヤっとした加減でも妙な説得力をもってしまう。これこそが「いい準備」というコメントの魔力だ。
だいたい「いい準備」とはいったい何だろう。そこ掘り下げなくていいって。そんな気持ちにもなってしまう。なにか人のプライベート空間に抵触するところがあり、「そこ触れなくたっていいっしょ、そっとしとこうぜ」って空気をかもしだしている。わたしにしたって、「いい準備」をした時の会議なんかは、だいたいもってうまく行かなかったためしはないし、わたしの言う「いい準備」とは、最悪の状況を想定して、不安要素を徹底的に潰しておくことだが、それは人それぞれによっていろいろあるんだろう。10人いれば10通りやり方があるかも知れない。それが「いい準備」という新鮮な言葉に、今のところ土足で踏み込むのを躊躇させる空気を漂わせている。
別にスポーツ選手は、しゃべりのプロではないし、AKBのコみたいに、選挙のたびにたたき上げで修行してきてる訳ではないから、こんな使い勝手がよくて楽な言葉があるんだから、もっとバンバン使えばいいと思うし、現にもっと使う人はふえると思う。口ベタな人なんかもっともいいコメントじゃないかと思うわけです。
「いい準備をして、ピッチにたちたいっす」
「いい準備をして、コートにたちたいです」
「いい準備をして、土俵に入りたいでごわす」
バリエーションも状況も選ばず使える。この言葉自体いまのところ新鮮さがあるので、平気でどこでも使えると思いますよ。でも間違いなく期間限定。そのうち使い倒されていて、消費されつくし、言葉自体が陳腐化した時に、その見えないバリアーあっさり破られる。「いい準備っていったい何ですか!」というクールな突っ込みがなされるだろう。(またそれ使ってるよ、しょうーもな)という空気とともに。
だからその時の為に、言いだしっぺの本田選手は、それに代わる新たな言葉を用意しておく「いい準備」をしといたら最高なんじゃないかな。
以上。