やましいたましい

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いまの空気を叩きつけようとしてるソカバンの新作について

あまり好きじゃなかった。認めたくなかったんだとおもう。
前身の彼のバンドのデビュー作はまるでフリッパーズギターみたいだったし、世間に注目されて迎えられたセカンドはもろ「はっぴいえんど」だった。だからそれ以降も彼の音楽にはなにかある種「・・・っぽい」という印象がわたしには常につきまとっていた。ソロになったはじめの頃は、なんだかジョンレノンだろうなとおもったし「カフェインの女王」を聴いたときは、あまりのディアンジェロさに(意気込みの高さに)多少なりとも驚いたが、やはりわたしの印象は変わりはしなかった。
だから今回曽我部恵一BANDの新しいアルバムの「満員電車は走る」を聴いた時、もう何にも似てないんだなというおもいがして、それがまず驚いた。まったく失礼な話だ。彼はとっくに誰にも似てなかったんだとおもう。ただのわたしの偏見だったんだとおもう。今回の並々ならぬような姿勢がわたしのくだらぬ偏見をも軽くぶち破り鼓膜に突き刺さったんだとおもう。スタイルなんか関係ない。だたあふれるばかりの内なる言葉の有りようを、感情の赴くままに音楽にたたきつける。もう、ただすごく感動してしまった。わたしのくそったれな偏見はあと幾ついいものを見逃してきたら気が済むのだろうか。わたしは変われない。そうおもうと、今すぐ外へ駆け出してって街灯の下あたりでうつむきたくなります。
みんな忘れようとでもしてるのか。震災のこと、原発のこと。少なくともわたしの心にはそんな感じがあります。世の中の空気もそんな感じにおもえます。なんとなくやんわりとした罪悪感を抱きながらも、もう忘れてしまって無かったことにしようとおもっている。ソカバンの新作はまさにそんな空気を告発でもするかのようです。誰もいわない、でも誰もが感じてる今の空気を感じます。ロック音楽ってのは時に時代の代弁者ではなかったのか。敏感な表現者の感受性はもっと今回の震災やら原発の一連の出来事には反応するであろうとわたしは勝手におもってました。でも今のところわたしにそういう想いがビシビシ伝わってくるのは残念ながら他のジャンルの表現です。ロック音楽からは逆にそういう想いはあまり聴こえてきません。また元にかえって自分の歩みを進めているだけのように見えます。これもまたわたしのいつものくだらぬ偏見なんでしょうけど。
曽我部恵一は何とか叩きつけてやろうしているだとおもいました。せめてこの空気に抗ってやるんだとおもいが伝わってきました。わたしはその姿勢にグッときます。スタイルこそよく聴いてみれば60年代のプロテスタントフォークのそれのようでもありますが、今回はスタイルより気持ちが勝ったんだとおもいます。結局おもいが伝わる時というのは新しいとか古いとか、スタイルではないということをまたしても思い知らされました。


バイトの面接はだいたい
十分くらいで終わる
資格 性格 通勤時間
そう多分それがあたしのすべて

面接官さんおしえてよ
あたしが誰なのかおしえてよ


もうこの歳になると、面接されるというよりは、面接する側になることの方が多くなったりします。
わたしはあなたが誰なのか教えてあげることは出来ないが、もっとあなたのような人の話にも耳をかたむけようとおもいましたよ。






曽我部恵一BAND

曽我部恵一BAND