やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

年末の所感

今年は激動の年だった。と、あちらこちらから聞こえてくるが、今年はわたしにとってもえらい激動の年だった。転職もした。住む場所も変わった。おまけに付き合ってた彼女と入籍までした(これすごいことですけどね)。この先のわたしの人生においても、今年はまさに激動の年となるのだろう。
それもこれもやはり、3.11の震災である。それは決定的だ。そのことで、これまでの生き方と、大きくわたしの気持ちが変わっていったのは間違いない。そして原発の事故である。理想とか、思想とか、現代社会のノイズだとか、終わりなき日常とか、ロジックや言葉など、全部バカバカしい。「この今ある生々しい現実こそが全てだ」と、これまでわたしの大部分を占めていた、あまっちょろいところが、一瞬全部吹っ飛んだ。間違いなく今までない感情を覚えた。この気持ちは後に、精神科医の安克昌さんいうところの、「リアル病」という診断におもいっきりあてはまってしまうのだろうが、たとえトラウマといわれようが、あの時の気持ちは、わたしにとっては大きな気づきであったと据えている。
今だいぶ落ち着いてきて、また前の現実の戻ればいい、または戻っていこうという動きと、いや、変わっていこうという流れに、世の中が分かれてるような気がするが、わたしの場合は転職先の仕事が忙しすぎて、毎日のニュースも満足に観ることなく、いわば社会から一定の距離をおいてこの二ヶ月過ごしてきた。が、なにかわたしの周りでは、なにかもっと、そんな出来事をもはやなかった事にでもするような、臭いものにフタはじゃないが、なるべく考えないようにするような空気すらかんじる。ここは千葉県流山市、話題になった放射能汚染がひどいホットスポットの街である。もちろん話題にはなる。「ホットスポットなんだよね、ここは」「駅前あたりがすごく高いらしいよ、こわいわ〜」
それで終わりである。特になにをするわけでもない。何もしないまま、またこの日常を続けるのである。何も出来ないってのが正直なとこなのかも知れないが、わたしにはなんとなく分かる。もっといえば、みんなどこか心の奥では、まさか大丈夫だろうと考えているからではないかとおもうからだ。それはわたしも含めて。それはなぜか。マスコミが大騒ぎをしなかったからだ。大手メディアや新聞が大々的に、スキャンダルのように報じなかったからだとおもう。大々的にマスコミが、毎日スキャンダルのように原発事故の有様を報じていれば、状況は、人々の意識は、今とはまるで違うものになっていた気がする。テレビや新聞への我われの依存度はこんなにも圧倒的なのだということを、わたしは今回まざまざと思い知った。それは今でも相変わらず続いてるとおもう。
音楽に対してのわたしの見方も変わったような気がする。災前、災後という言葉があるならば、あれだけ強烈であった、現代の歪みを抱えたかのような、神聖かまってちゃんの音楽も、わたしにとってはもう災前の音楽、今の空気には見合わない音楽として認識があったが、図らずも災後の音楽として、わたしに唯一響いてきた音楽も、秋口に出た、じつは、かまってちゃんの”僕は頑張るよっ”という曲だった。それは、時期的にはかなり前に作られた曲だったらしいが、タイミング的にここで出してきたってことに、すごく意味があるのだとおもう。わたしが先に述べた、ほんとに懸念しているこの、「流されていってしまう」という感覚を、何とか踏みとどまらせてくれる音楽は、今のところわたしはこれしか知らない。




わたしも頑張るよっ


8月32日へ

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