やましいたましい

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どうにも うごかしがたいもの

今週のお題「ゲームと私」
任天堂ファミコンが、数ある他メーカーを差し置いて天下を取ったのは、実は実売価格が他社よりも500円だけ安かったからじゃないか。それは発売当時小学キッズだったわたしの頭に、おぼろげながら刻まれている記憶だ。
世間のその時のマーケティングの実情は知らない。しかしわたしの実感からするとそうだ。少なくても出はじめはそうだったとおもう。当時、家庭用ゲームという新ジャンルとして、確か4社ぐらい同時に発売されたのを覚えている。セガもあったし、アルカディアなんてのもあったとおもう。その中にあって、新しいおもちゃに関しては、イヌよりもスルドイ嗅覚を発揮していた、われわれ小学キッズの間じゃ、むしろ任天堂ファミコンは評価は低かった。今調べてみるとスペック的にはファミコンもすごかったらしいが、当時のわれわれ小学生マインドをくすぐられるのはやはり見栄えである。赤というよりはむしろあずき色に近い色のデザイン。あずき色とはいってみればおばあちゃんの色。そんなイメージのファミコンよりも、黒やグレーなどの男前なスタイリッシュ感で演出してくる他のメーカーにワレワレキッズの心は動いていた。しかも任天堂などというメーカーは当時われわれの中での認知度はまるでなかった。バンダイといえば「知ってるーっ!」などとハリセンボンの近藤春奈のごとく語気を強めたくもなるが、任天堂なんてワレワレの中じゃさっぱりだった。じつにピンとこなかった。ばあちゃん色の任天堂。男前な他のメーカー。結果はあきらかだった。「オレはアルカディアを買う!」と宣言していた友はいたが、「任天堂サイコー」などと言う友はすくなくともわたしのまわりにはひとりもいなったとおもう。
しかし結局まわりのほどんどが買ったのは任天堂ファミコンだった。500円安かったからだ。センス オブ ワンダーなワレワレの感性に気づける親など皆無だったのだ。そしてその親を納得させるだけの説明や言葉も当時のワレワレは持ち合わせてはなかった。「同じゲーム機なんだから、これでいいでしょ」というノンセンスな卑劣な親の言葉に、なす術もなく屈服していく同胞は、当時日本の各地にもかなりいたのではないだろうか。結局わたしのまわりで希望どおりアルカディアを買ったのは、金持ちの地主の息子"J"くんだけで、あとはみんな任天堂ファミコンだったとおもう。それよりお金のない家のわたしは、もっぱら買った友達の家に行ってやらせてもらう派(そんな派あるか)だったが。
それから友達の家でワレワレは、その買ったばかりのファミコンで、さして自分で動かしてる感のない野球ゲームをして遊んだ。テレビゲーム自体がめずらしいことだったので、それなりわたしたちは楽しんだ。しかし、なんともいえない煮え切らない空気がそこにはあった。その友達は、買ったばかりのファミコンを前に、なにか敗北感にも似た影をたたえながら「結局これになっちゃったよ(しょーもな)」と言った。なんともしぶい八代亜紀のような困った顔だった。いったいなんなんだよもう。あかりはぼんやり灯りゃいいんだろうか。あたりはこんな真昼間なのに。
これは、のちに任天堂ファミコンが本当の意味で天下を取ることになる、僅か数年前の話である。そして本格的にワレワレ小学キッズがファミコンに食いついたのは、当時ゲーセンで流行っていたシューティングゲームゼビウス”がファミコンで発売されるを知った時からだと記憶している。
物事の結果を決定的に左右するのは、実は本質とはまったく無関係の「わずかな差」だったりすることがあるのではないか。しかもそれは、実力とかそういうものでは、どうにも動かしがたいものなのではないだろうか。なぜベータではなくVHSだったんだろうか。なぜプラズマではなく液晶なんだろうか。それじゃあ、そもそもなぜ、Macではなくwindowsなんだろうか。
スガシカオは、世の中に対する自分の音楽の提示の仕方にものすごく自覚的だったとおもう。客観的な視点、そして売るということに対してすごく自覚的だったのではないだろうかとおもう。
それでは森広隆はどうだったのだろうか。ものすごく高い音楽性をもちながらの今の結果に、わたしは少し憤りを感じたりします。ほんとに今聴いても、こんなにすばらしいのに。