やましいたましい

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奇妙な声〜長澤知之「junk land」〜


長澤知之の声は、じつに奇妙だ。声の芯がいつも不安定に震えていて、音域も高くなるほど、それがむき出しになるかんじ。洋楽じゃこういうかんじの声質は、系譜があるぐらい確立してるとおもうけど、日本じゃあんまり居ないタイプですね。その貴重さが魅力だとおもいます。
そんな長澤知之のファーストアルバムが出ました。なんかやっとってかんじですね。もういい歳のわたしには、ちょっとギターの音が耳を劈くくらい痛い曲もありますが、若い人にはちょうどいいのかな。内容は今まで出したミニアルバムからのものと新曲とで、ちょうどベスト盤的な内容になっているので、入門用としては最適なのではないかとおもいますが、わたしには新しい曲が断然耳を引く。中でもやはり最後をかざる「回送」という曲。わたしはこの長澤の奇妙な声は、もともとの声質というよりは、むしろく内面からきているものとおもっていましたが、まさにこの曲はその彼のもっている奇妙さが詞やメロディにも結実した、傑作ではないかとおもってるわけです。それがなにか、ふだん当たり前のように生活を送っているわたしに、確信を持って迫ってくるような気さえするのです。



夢のはなし すべて夢さ 何もかもありませんでした ただのファンタジーでした
このごろ いつも同じ空を くりかえし顧みてるのさ それは此処にも何処にもない
かといって無いわけでもない 遠い空
                  
                                   〜回送〜


もう、かまってちゃんも違うとおもう。3月11日をさかいに、180度とまではいかないが、あきらかにわたしの中で変わった。世の中も変わってっているとおもう。の子くんが、これから何を提示してくるかは分からないが、今までのはもう違うとおもう。しかし長澤知之のこの「回送」という曲は、去年ライブ会場のみで限定で発表していたみたいだから、震災後に書かれた曲ではないが、なぜか無理やりにでも今のわたしの気分に迫ってくる。なにか彼が確信をもって感じとったであろう不安めいたものが、メロディ、歌詞、声と共に、もう普段の仕事をこなし、当たり前のの生活を送りながらも、その根底では、震災後あきらかに変わったと自覚している、わたしのその部分にせまってくる。


夢のはなし すべて夢さ 何もかもありませんでした ただのファンタジーでした


福島の原発からいまだに出続けている、高濃度汚染水を受け入れている廃棄物処理施設があと4日前後で満杯になるらしい。その後の対策はいまだもってないらしい。