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ジョン・スペンサー的パッションで10年代をこじ開けようとするキングブラザーズ〜KING BROTHERSーXXXXX〜


THE FIRST RAYS OF THE NEW RISING SUN

THE FIRST RAYS OF THE NEW RISING SUN



結局ジョン・スペンサーなんだとおもう。
わたしがKING BROTHERSをはじめて観たとき、ギター、ギター、ドラムというベース抜きの変則的なバンド形態や、ロックンロールではあるがこれまでの日本のロックロールの系譜とはまたちがうギターフレーズの組み立て方からも、すぐにジョンスペンサーの名前が浮かんだ。当時のジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン(JSBX)の、パンクの初期衝動的な暴力性をはらんだブルースやロックンロールは、まるで他とはちがう際立ったかがやきを放ってみえたし、わたしにはなにかと保守的になりがちなブルースやロックンロールを前進させるある種キボウのようなものにもみえた。そのJSBXの影響を受けながらも、しかもわずか数年、ほぼ本家と同世代くらいの差で出てきた日本のバンドに、わたしは「なかなかセンスいいバンドも日本いるもんだ」と関心していた。
今回6年ぶりの新作にて、彼らはドラムを換えてきてる。それだけじゃなく、いままでの変則的なバンド形態から、今回はじめて正式にベースを入れた4ピースのバンド形成になった。ついに、ついに掟をやぶってきた。これは非常に大きな変化だ。ドラムとベースを換えるということは、いわば心臓と肺を交換するようなもの。全くちがう人間になる可能性もある。しかしわたしはワクワクした。結果それは本人達が予測した以上に大成功しているのではないかとおもう。ベースを入れることで、本来のロックンロールのダイナミズムに、ジョンスペ的エキセントリックさが加わった非常にかっこいい作品になってますよこれは。わたしも久しぶりロックンロール熱がうずきました。すごくいい!!!
そもそもJSEXがおこなった変則的なバンド形態というのは、JSBXの音楽性にイビツなかたちのある種”HIPHOPのスカスカ感”にも似た新鮮な感覚をあたえていた。しかしそれははたしてジョンスペンサーのあの音楽性の本質だったのだろうか。要はJSBXの音楽性は”ベースレスだからこそ成り立っていた”のであろうか。
結論からいえばわたしはそうではないとおもう。なぜならばアルバムを聴けばわかるが、しっかりと”ベース”が鳴っているからである。いやベースレスなバンドで”ベース”が鳴っているというのはおかしい。いわばベースではないが、ベース的な音がしっかり鳴っているからである。わたしが10年以上たった今でも、たまにひっぱりだしてよく聴く大傑作変態ブルースアルバム”ACME[アクメ](タイトルひどいっすね)”でもそれはしっかり聴き取れる。これを普通に聴いてベースレスなバンドだと聴き取れる人のほうが実は少ないのではないか。それほどブッとい低音が鳴っているのである。あの音はなんだろう。
あの音はジョンスペンサーのギターの音である。ジョンスペンサーが質屋にてわずか数千円で手にいれた、どこのメーカーかもわからない日本製のギターの音なのだ。そのジョンのギターのブッこわれたトランジスタラジオのような太い音が低音の役割をして、ジョンスペの音楽性のいったんを担ってるのではなかろうか。それがもしかしたらジョンスペンサーの変則的なバンド形態のキモなのではないか。とわたしはつねづねにらんでいた。
だから今回のキングブラザーズのベースを入れるという変化は、ワクワクしたし、しごくまっとうな流れだともおもった。なぜならキンブラにはジョンスペのあのギターがないからである。あのいくら放り投げてもこわれない日本製のギターがないからである。わたしも質屋に行ってみたがあんなギター売ってなかった。いったいどこの質屋にいけば売ってるんだろう。あのギター。だいたいどこにいったってないんだよ。あんなすばらしい安物。だからあんなギターをわずか数千円でてにいれたジョンスペはそうとうなラッキーボーイ、いや、ラッキーおじさんだな。
ついにキングブラザーズは、形にこだわることを捨てることによって、本質を掴まえることに成功したのではないか。替わりに入ったドラムの、8ビートというよりは16をかんじさせるリズムも、ラッセル・シミンズっぽいし、じつは今回がいちばんジョンスペ的なエモーショナルをかんじました。




ACME

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