やましいたましい

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あたらしい才能〜清 竜人〜


あたらしい才能は突然やってくる。それもおもわぬところから。いい!!すごくいい!!あまりにもすばらしくてしばらく動けなかった。感情がつたわってきて、ふるえてしまった。この清 竜人というひと。実は知ったのはちょうど一年くらい前のデビュー曲だけど。なんか玄人っぽいひとがヒーリングミュージックをやっているような印象で、わたしには正直ピンとこなかった。それも全編にわたって英語だったような。しかしどうだろう。こんかいは本領発揮ですか。歌詞も曲もリズム感も新鮮で瑞々しい。とくに歌詞が生々しい。わたしはこのあたらしい才能の登場にワクワクしてしまった。しかも弱冠20歳そこそこなんですね。そう考えるとデビュー曲もすごかったのかもしれない。
アルバム「WORLD」も聴きました。もうおじさんのわたしには弱冠ギターの音色がうるさいかんじがしましたが、同世代の若者にはむしろジャストなんだとおもう。やはり声に味があっていい。すごくソウルフル。曲はそういったものはなかったですけど。やはりファルセットボイスがくる。ソウルフルに聴こえます。洋楽ではプリンスやディアンジェロ、エリカバドゥなどのブラック系のアーティストは、よくファルセットを多用してますが、日本で思い浮かぶのは岡村靖幸ぐらいか。わたしはこのブラック系アーティストのファルセットが大好きで、日本のミュージシャンにもいないのかなとおもっていましたが、高い音域に見合った、なおかつ意味合いをもたせる日本語を乗せることなどできるのだろうか。かなりむずかしいのではないかとおもってました。岡村靖幸にしたってそこらへんはかなり計算して作っていたとおもう。しかし清 竜人はそこを軽々と飛び越えてきてるようにかんじる。あたらしい文体とリズムをもって。そこがすごいとおもう。とくに”痛いよ”での終盤は圧巻で、「胸が痛いよ〜」を連呼するあたり、感情のたかぶりとともに、自然とファルセットになっていくさまが、わたしにはグッときて、わたしも年がいなく、胸がいたくなります。
われわれにとっての10代、20代は、自身が非常にせまい世界観の中で生きていることを、いやがおうでも自覚させられる時期であるようにもおもう。むさぼりつくように知識を得、経験をかさねて、上下左右のカベを押し広げようと試みる者、おぼえたての処世術をふりかざしてわかった気になる者、おのれの世界観を受け入れ、まとまろうとする者。いずれにしても、何かしらの答えを要求されるしんどい時期だ。清 竜人も例にもれずその世界観のなかにいる。あたりまえだ。まだ20歳そこそこなのだから。わたしなんかもっとせまかったとおもう。いずれにしても、世界観をひろげたところで、具体的になにがどうなるわけでもないのだけど。
おそらく、すぐれた表現者にとっては、世界観をひろげることなど、コショウていどのスパイスでしかないのかもしれない。彼は、彼自身のその世界観の中でもかんじる、彼女に対する不信感という、おそらく、世界中の誰もがかんじるであろう不安を「胸がいたいよ」というただ一点だけで、そのおもいと圧倒的な才能で書き上げている。その一点を、おもいのままひたすら打ちつづけることによって、表現のおおきな風穴をあけたのだとおもう。また、「ヘルプミー、ヘルプミー、ヘルプミー」という曲では、自分の中にある、出処がわからない漠然とした不安を、答えを探すという不毛なことではなく、新鮮な切り口で描いている。そしてわたしの目にとまったのは、アルバムの中の「がんばろう」というタイトルの曲である。びっくりした。なぜなら、わたしがもし歌詞を書く立場だとしたら、「がんばろう」なんて言葉は使わないからである。思い浮かんだとしても使えない。「一周まわって、そういうのもありじゃない」なんてレベルではない。何週まわったっておそらく使える要素など期待できない。それほど陳腐化している言葉なのだ。しかし彼はなんのてらいもなく使っている。すごく瑞々しい解釈で。
おそらく本当にそうおもったからだろう。すごくいいとおもった。才能があるひとは、自身がほんとにそうおもえば、どんな陳腐化している言葉でも輝きをあたえる事ができるんじゃないか。それが才能なんだと、あらためてわたしはおもう。










WORLD

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