やましいたましい

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青春ごっこ


以前、スティングはインタビューで自身の元バンド(とうぜんポリスね)のことを振り返り、バンドというものは「いわゆるまあ、青春みたいなものだね」的なことを語っていた。確かそのような内容のことを言っていたとおもう(ちょっとウル覚えなんだけどね)。ようするにそこで語ってたのは、バンドというものは自身の音楽が成熟するまでの単なる一過程に過ぎないということである。ひと夏のほろ苦い経験みたいな感じか(実際、ケンカが絶えなかったらしいからね)。確かに、その後のスティングの音楽の成熟ぐあい、名うてのミュージシャンをかき集めての自身の音楽の完成度。一糸乱れぬ完璧な演奏などを見ると、確かにこれをポリスでは出来ないのかなっておもったりする。特にライブなどにいたっては、スタジオ盤かと聴き間違うくらいのクオリティなのである。やはりスティングにとってのバンドというのは自身の表現を成熟させるプロセスの一つだったんだろうと納得したりする。

フラワーカンパニーズの鈴木圭介はこの曲の中で、やはり”青春ごっこ”と言いながら今の自分自身の状況を茶化している。しかしその一方彼らはマジである。この”ごっこ”をつづけようとしてるのだ。なぜなら彼らは逃げなかったからである。いや、そんな強い意志などなかったのかも知れない。むしろどこにも行けなかっただけなのかも知れない。
わたしがフラワーカンパニーズを知ったのはもう十数年以上前の話である。当時は勢いのある売出し中の若手バンドとして、レンタルビデオ屋の有線やら、喫茶店、いたる街中で耳にしていたが、わたしには今ひとつピンとこず、当時一緒に出てきた新人バンドの一つとしてしか捉えてなかった。そしてその他のバンドとともに、そのうち忘れてしまった。
しかしつい最近、この動画を偶然に見る機会があってわたしは非常に驚いてしまった。もちろんフラワーカンパニーズというバンドが続いていたという驚きもそうだが、それ以上にこのバンド、何も変わってなかったからである。いや、見方を変えるとおおいに変わっていた。変わってないことは誰一人欠けることなく4人がつづけてきたという事実だけかもしれない。わたしはずっと彼らは逃げなかったんだとおもった。これは凄いことである。幾多のバンドがスティングのようにステップアップの為に解消したり、どこかに消え去っていく中、彼らはというと、彼らはどこにも行かなかった。めまぐるしく変わる音楽状況、社会状況だってあれからまるっきり変わってしまった。そんな中彼らはしきりに石原の草を刈り、同じ穴を掘り続けた。その果てに、こぼれ落ちた水滴のように「生きててよかった そんな夜をさがしてる」という洗練された言葉が出てきたのではないか。わたしは勝手に想像する。洗練されたのは言葉だけじゃない。他のメンバーも同じようにそれぞれ楽器で雄弁に語っている。特にベースなんかここちいいぐらいガンガンくる。なによりバンド全体がこのバンドでしか出せないような独特のグルーブが感じられて、わたしはそのことに感動する。はるばる来たんだなぁと。
繰り返しリピートしながらおもう。これはほんとに凄いことだよと。彼らからいろんなことを教わる。やはりセンスとはもともとあるものじゃなく「身に付ける」ものだと。やっぱり本気でやっている奴にはそれなりのご褒美があるんだな。そうこなくっちゃ。だから音楽おもしろい。なんかわたしは年甲斐もなく勇気をもらいました。


感じることだけがすべて 感じたことがすべて
生きててよかった そんな夜をさがしてる


何も信用出来なくなったら、やっぱりこれしかない。
彼らは本気だ。青春ごっこをつづけている。