やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

テレビがくる。

日に日に寒さが増していくね。昼間はまだあったかい時もあるけど、夜はも、さむい。ちゃっぷい。なんかこう、腰を据えて分厚い本でも読みたい気分。なんかすごい超大作とかね。そのなのあったか。町田康の「告白」とか。あれは気合いるかもー。
この季節とは全く関係ないが、テレビを買い換えることとなった。別にテレビが壊れたわけではない。いまあるテレビは貰ったものだが、10年くらい使った。そのまえに10年くらい使ってたらしいから、かれこれ20年。20年物のテレビだ。でもまだ観れることは観れる。でもテレビが壊れたというのはいったいどこで判断すればいいのだろう。電源点けてつかなければ完全に壊れたんだろうけど、うちのテレビはまだ観れる。たしかにいまやリモコンの機能は8割方使えないし、最近画面がいくぶん黄ばんできて、映ってるひと全員黄疸みたいなかんじにみえたりするが、まあ観ようとおもえば観れる。ならばなぜ買い換えることとなったかというと、いまうちの職場にいる最高齢のおばちゃんNが、えらく熱のこもった口調で話題にしているからだ。おばちゃんいわく、今月中に買い換えないと、なにやらエコポイントが半分になってしまうらしい。エコポイントが半分になってしまう。それはこまる。でもエコポイントについてなにを理解しているかと聞かれればわからない。よく食べ物の袋の裏に「遺伝子組み換え大豆は使用していません(キリッ!)」と表示があると、「ああ使用してないのか。よかった!」とおもうが、そもそも遺伝子組み換え大豆が何なのかは定かではない。それと一緒だ。
しかし最近のおばちゃんNはかなり熱く語る。なにやらテレビを買った先の電気屋さんの人にひどく親切にされたらしい。そこでその店員に貢献してやろうとがんばっているのだ。おばちゃん特有のおせっかいだ。ただ、そこの店員さんもほんとにおばちゃんの意気に応えて安くしてくれるみたいなので買いなのだ。チャンスなのだ。もう職場でも2名ほどその話に乗って買った。そしてわたしをはじめもうひとり検討している人がいる。いま、わが職場は空前のテレビ買い替えブーム到来。おばちゃんはあつく語る。そのとき得た知識をおしみなくみんなに披露しながら。そしてそこに集まった我々は口々にいう「それ買い!」「買いだね」と声をあげる。そのときばかりは、おばちゃんの指揮のもと、おばちゃんのタクトに忠実な、我々はさながら合唱団のようだ。
わたしはテレビをよくつける。観るというわけでもなく、やはり点けてるというのが正しいであろう。観入っていることのほうが、最近は特に少なくなったからだ。とにかくつけている。そんなかんじ。パソコンをやってるときも、なにか本を読んでる時も、家で仕事をしている時も(その時ぐらいは消せよ)、とりあえずテレビをつけている。朝起きたらまずテレビ。家に帰ってきたときもまず最初にやるのがほぼテレビ。わたしはテレビの前では、喜怒哀楽のすべてをさらけ出してきた。まあ泣くこともたまにあるが、たいがいはボーッと観ている。わたしはテレビではなく、その向こうの映像を観ていたつもりだったが、テレビはずっとわたしのことを見ていたのかもしれない。そう考えるとなんか感慨深い。しかもいまあるテレビはもう10年だ。10年も一緒にいれば、さすがにいろいろ思い出もある。たしかワールドカップの日本戦の時なんかは、30分前に突然テレビが点かなくなったことがあった。どんどんわたしの表情がこわばり機嫌がわるくなっていく中、ひたすら彼女がオロオロしながらまわりを動き回っていたっけ。そんなときも静観していたのであろうか。じっと黙ったまま見つめながら。
来週あたらしいテレビがくる。もちろんおばちゃんを通じて紹介してもらった店員さんから買ったのだ。うんとサービスしてもらった。倍速だとか、LEDだとか、クアトロンだとか、いろんな機能にそのときは一喜一憂したが、そんなことはここには書かない。来週うちにくるテレビは1台だ。比べるものがなければ、そんなことはそのうちどうでもよくなる。