やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

売っちゃったかもしれない。

今日、仕事帰りになんとなくブックオフによったみた。まあ久しぶりだから、丹念にみて掘り出し物でも見つけてやろう、なんて意気込みもなく。ほんとなんとなくふらっと、かるく一周ぐらいして、何もなければそれはそれで帰るつもりでいた。
店に入って、書籍のところを注意深くみる。でもなく流しながら、CDのコーナーに辿りつく。なんとなくジャケットを表向きにして、おすすめ商品のように飾ってあるCDがわたしの目にはいった。なつかしい見たことのあるジャケット。ああ、なんだジョンフルシアンテのセカンドじゃんとおもっていると、付いている値段をみておどろいた。
5000円オーバーなり。
咄嗟にいろいろな考えがあたまを駆け巡る。彼がレッチリに復活して数年間の間に、レッチリのモンスター級の成功。そのバンドに対する彼の多大なる貢献度。さらに現代の3大ギタリストに選ばれるなど、彼に対する廻りの環境もずいぶん変わった。そんなこんなで彼の初期のアルバムに希少価値がついたのではないか。時期的からいって、廃盤になってるのかもしれない(これ予測)。そんなおもいに至ったとたん、わたしはどこからともなくこみあげてくるうれしさをおさえるので必死だった。いや、完全にニヤけてたな。でちゃってた。端からみたら、完全にCDのジャケットを見ながらひとりニヤける気持ち悪いおじさんになってたな。でもどうかゆるしてほしい。それもそのはずである。わたしはしっかり持ってるのである。そのアルバム。わたしはジョンフルシアンテのセカンドアルバムを発売当初に買ったのである。あははっ
このなんといい表せばいいんだろうこの気持ち。帰ってきた出世魚にでもあったような感動。わたしは、テレビをつければなぜかどの時間帯でも観た記憶があり、いったい正式にはどの時間にやってるかさえもわからない長寿番組”お宝鑑定団”をながら観するたびに、なんとなくおもってた。「わたしんちにはないなぁ、ガラクタばかり」とひそかにあきらめるでもなく考えもしなかった気持ちが、フツフツと湧いてくる。「なんかそのお宝ってかんじのもの、うちにもありますけど」
いやいやなんかおもいのほかうれしいもんですね。ぜんぜん値段とかじゃないんですよ。なんか自分の何かが報われたようなそんな気持ち。そんなかんじなんです。
そしてわたしが、いそいそと家に帰ってきて、すぐやることはもちろん決まっているのである。そう、そのお宝ちゃんであるジョンフルシアンテのアルバムを確認するのだ。ひさしぶりだが今日は心ゆくまで聴いてみてもいいな。内容的には、彼が薬物中毒の時に薬欲しさの資金のために無理やり出したというだけに、まとまりのないだらだらした曲や、アイディアだけのスケッチみたいな曲ばかりで、トータルで10回も聴いてないとおもうけど、そんなことはこの際どうだっていい。そのくらいの包容力が今のわたしにはあるのだ。よし、今日は聴いてやろう。感慨にふけるってのはこんなかんじなんですね〜。やっぱ秋の夜長っていいですね。
とさっきまではそんなかんじでのんきに浮かれていた。そんなわたしを今ではバカバカしくもさえおもえる。
わたしはいま、あせりにも似た気持ちが沸々と沸いてくるのをかんじている。それはなぜなのか。そう、ないのだ。ないの。ついさっきまでわたしが浮かれていた、その源泉であるあのお宝ちゃん”ジョンフルシアンテのセカンドアルバム”がいっこうに見つからないのである!なんだよもぅ〜。ファーストもみつけた。サードなんか5分も掛からなかった。しかしないのである。ジョンのセカンドだけがいっこうに見つからないのである。もう何周目ぐらいだろう。わたしのCD棚はだいたい1000枚くらい入るので、他のCDケースとあわせてもざっと1200枚くらいはある。だから見つけるのはたいへんっちゃたいへんだし、まだ希望はある。ただそれと同時にわたしには、底知れぬ不安とともにあるおもいがよぎっている。
売っちゃったかもしれない。
つい2ヶ月ぐらいまえだった。近所にレンタル屋のGEOが新しくオープンした。そこはCDの買取りもやっていて、オープン記念で買取り価格20%アップキャンペーンってのをやっていたのだ。わたしはCD棚からあふれんばかりになっていたCDを少し整理したいとおもっていたので、20%アップならすこしは高くつくかなと、2、30枚くらい厳選していそいそと持ってったのを覚えている。ジョセフKもあったし、リッキーリージョーンズ、チルズもあった。ゴット イズ マイコ パイロットもあったのはおぼえている。すると、店員のバイトの女の子にこう言われた。
「あのぅ〜、お客様の持ってきていただいたCDは当店のデータがないものばかりなので〜、一枚10円でなら買い取れますけどぉ」
完全に上から目線だった。ともすれば、なんでこんなガラクタ持ってくるんですか的な勢いすらあった。屈辱的だった。わたしは完全にその勢いにのまれていた。ふと見上げるとその店員の向こうの壁には”西野カナ高価買取り中”の文字。わたしのもってきたCDにはどうして西野カナがはいってないのだろう。どうして、わたしのもってきたものはこんな無価値のガラクタばかりなのだろうか。わたしはなかば崩れ落ちる気持ちのをおさえながら、すがるようにこう答えていた。
「こんなものでよがったら、どうか引きとってくだせぇ〜」
もしかしたらあの中にジョンのセカンドが入っていたかもしれない。だとしたらとんだお宝なのだ。でもしかしわたしは10円で売ってしまった。しかもあの上から目線の見習いバイトちゃんに。もういろんなおもいがごちゃごちゃになっていいようのない無念さがこみあげてくる。でもまだまだ希望はある。こんどは一枚一枚しっかりみる。まだこれをやってない。たしかにあの時、ジョンのセカンドを手にしながら「ジョンフルシアンテのアルバムでいちばん聴いてないのはこれだな」とおもった。それだけははっきりおぼえている。だから候補には挙がってはいたのだ。しかしギリギリになって戻したような気がする。戻したよ。だから希望はある。だから希望はあんだってば。


ひっそりと静まり返った部屋の中、わたしはひとり孤独をかみ締めている。


売っちゃったかもしれない。



Smile From the Streets You Hold

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