やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

恥を知るということ

田代まさしがまた薬物関係で捕まった。なんかおもいのほかショックだった。なんなんだろう。特別好きってわけじゃなかったんだけど。
田代まさしほど、栄光と挫折をテレビを通じてことごとく晒してしまった人もめずらしいのではないか。どうしてまたやってしまったんだろう。本人がいちばんそうおもっているのだろうけど。世間からはもうとっくにそっぽをむかれているようなかんじもあるけど、それにしたってそうおもっているだろう。想像しがたい。いまの彼の境遇を。どこいったってやりなおせない。だれと会ったって白い目で見られているような、被害妄想の中で生きる感覚。もう這い上がるチャンスすら許されないような、絶望感の中で生きる感覚は。意外ともしかしたら、そんな境遇ですら、人は慣れてしまうものなのかもかもしれない。捕まった久しぶりに見る田代まさしは、頭も薄くなり、びっくりするほど老けてみえた。もはや恥じる感覚すらどこかにいったような、隠すわけでもなく、抜け殻のようになった自身を曝け出していた。
薬物を絶つということは、タバコすら辞めるのに半年以上かかったわたしには、これまた想像しがたいことで、おそらくわたしには無理なのではないかとおもう。しかし捕まった彼の姿を何度もテレビで観るにつけ、わたしは残念でたまらない気持ちになる。恥という概念。恥ずかしいということ。こういうニュースを観ると、おもい出すかのごとく考える。ひとが恥ずかしいとおもう感覚とは、おもった以上にすごく大事なことなのではないか。それは、ひとの尊厳にもかかわる大事はことなのではないかとおもう。最近、どこぞの世界でやたらと声高に掲げている、透明性だの、クリーンだのという言葉に、どうも腑に落ちない感覚をおぼえるのはそういうことなんだとをおもう。”有限実行”などとドあたまにもってくるセンスのなさに、ほとほとあきれてしまうよ。
休憩室で、わたしのとなりでスポーツ新聞を読んでるひとがいる。見出しには「押尾学被告、求刑たった2年6ヶ月」という文字。大半の人が「短い」だの「量刑が軽い」といっている。現にわたしの職場でも、その話題が出ると、一様にそのように言う。「10年ぐらいぶち込めばいいのに」といってる人もいた。わたしは押尾学に同情するつもりは全くないが、わたしがここで押尾学以上におそろしいとかんじるのは、そういった世間の憎悪にも似たマイナスな感情のエネルギーが、ひとつになる瞬間である。わたしはそこに強烈なこわさをかんじる。こんなんじゃ簡単に戦争なんか起きちゃうんだろうなとおもう。真心ブラザーズの倉持くんは”人間はもう終わりだ”という歌の中で、「平和なんかひとりのバカがぶっ壊す」といっていたが、わたしがもっと詳しくいえば、「平和なんかひとりのバカが仕掛けて、結局みんなでぶっ壊すんだよ」とおもう。
浦沢直樹の「モンスター」というマンガには、その題名にふさわしいひとなどはいっさい出てこないが、あれはひとの悪意のことをいっているのだとおもう。人間の悪意こそが、いちばんおそろしいモンスターなのだと、そういっているのだとおもう。


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