やましいたましい

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がんばれ、クレープ屋!

ひさしぶりの友達Tくんからメールがきた。近々人生さいごの転職をするらしい。なにやら飲食業をするのだという。なかなかくわしいことを言わないので、ラーメン屋かとおもい、かまをかけてみたらクレープ屋だった。いったいどういう経緯でそうなったのかはわからないが、大丈夫なのだろうかとすこし心配になった。あまり本人のイメージと商売というのがどうしても結びつかないかんじがしたからだ。まあ綿密な立ち上げ計画を練っているということなので、大丈夫なんだろうけど。わたしの家は商売をやっていないので、わたしは商売をするということにたいしてはまったくのトンチンカンだ。店を出すっていうのはどういうことなんだろう。大変なんだろうな。なにか行商みたいにリアカーでも引っぱってまわるのだろうか。いやいやいくらわたしでもクレープ屋がそんなことをしないのはわかっている。わかっているが、どうもTくんのイメージだとどうしてもそっちにいっちゃうんだよね。でも焼き芋屋はさすがにリアカーではないが今でもちゃんとまわっている。つくばは越してきたばかりなのでわからないいが、前の甲府ではみたよ焼き芋屋。グルグルまわってた。だからクレープ屋はまわっちゃいけないんだろうか。クレープ屋がまわってきたからって、だれも買いにはこないのだろか。どうなんだろう。
しかし焼き芋屋のあの、まわってきたとたん、自分がどんな状況であろうと、着の身着のままかけ出していく感覚。こえのする方向へ、吸い込まれるように行かざるおえない。あの感覚はなんだろう。かけ出しているあいだ「オレはほんとに焼き芋なんか食いたかったのか、さっきごはん食ったばかりだろう」そんなことはどうだっていい。だたこのチャンスを、またとないこの瞬間をものにしなければいけないという使命感にも似たあのかんじ。あの感覚はいったいなんだろう。
”いしや〜きいも”
このフレーズ。この高らかに張り上げるトーン。これはたしかにくる。おもわず体がうずく。この言葉、この感覚になにか吸引力みたいなものがあるのだろうか。じゃあクレープ屋はどうかとおもったが、そうでもない。クレープ屋ってなんかパッとしないのだ。”クレープ!”声高にいったところで、なんかうすいかんじがするし、だいいち”グレープ”にまちがえられる可能性だってある。それはまずい。ぶどう売りと声高にさけんだところで、ぶどうファンの食指はうごいても、全国のくだものファンまではフォローできないだろう。それなら男のの朝の食事”バナナ”だって入れてほしいし、グレープフルーツだってかぶりつきたい。それよりだいたい”グレープ”じゃないし、”クレープ”なのだ。似通ったことばが、それも食べ物のなかにあるという時点で非常に不利だ。じゃあクレープ屋は焼き芋屋のようにまわるにはむいてないのか。はたしてどうか。
まあ言い方だろ!って話でもあるし、クレープがだめなら別ないい方をかんがえたらいい。そういうことに関してはTくんは得意そうだし、
そうおもったらうまくいきそうじゃない。いけるよTくん!
くだらないことつらつら書いたけど、まあふつうに店出すんだろうから大丈夫だね。
なんだかんだいって応援してるわけです。がんばれ、クレープ屋!

ヴィニシウス・カントゥアリアの新作がすごいよさそう。洗練されたボッサ調のかんじはなんとなく夏向きってかんじだし、クレープ屋にもあいそう。こんな音楽がかってたらわたしだったら2割り増しに買う気になるね。まちがいなく。
これは新作の曲ではないけど、雰囲気的にはこんな感じ


ラッパが味があっていんだよね。ゆる〜い夏休みのひとときに。



サンバ・カリオカ

サンバ・カリオカ