やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

オカンの料理

トウトツだが、ウチのオカンの料理はマズい。いや、マズかった。いまはわからない。でもこの場におよんで急に上達することなどあるのだろうか。ないねたぶん。だからマズいんだろう。いやちょっとは上達したかもしれないな。こないだウチに帰ったら、ちゃんとみりんがおいてあったから。
おとなになってから気づいたのだが、オカンはたぶん料理というものにまるで興味がないのだろう。以前実家に帰った際に、自分で飯を作ろうとおもったらみりんがなかった。なにげにわたしは聞く「ちょっと、みりんないの」「ないよ」「買ってこようか」「いいよ」「なんで?」「なくても出来る」
「ええっ・・・」
聞けばウチにはもともとみりんなんぞなかった。もっといえば料理酒もなかった。わたしも一人暮らしをして料理をするようになって、ほどなくわかるのだが、醤油、みりん、お酒というのは、三種の神器っていうぐらい必需品なもので、そんなもの、ちゃんとやろうと料理番組などを観ればすぐわかることなのだ。でもウチにはなかった。興味がないんだよ。ほんと。その気持ちはわかる。興味がない人は、どんなにひんぱんに料理番組をやってようと、かりに偶然にも見る機会があっても、まったく頭に入らない。もうみごとに素通りするのだ。わたしも今年の始めにかぜをひいたときに、職場の人に良い病院を紹介してもらったが、それがあまりの近所だったので腰を抜かすほどおどろいたことがある。そこは毎日通勤で通ってる道沿いにあったのだ。いや〜なんかあるなーとはおもってはいたけど、興味ないとまったく見ないんですね。あんなにでかい看板なのに。
だからしょがない。っていうか、もともとウチのごはんしか食べてないから気づかなかった。と言いたいとこだが、うっすらわかってはいた。たまに友達んちでごはんをごちそうになるときの、あまりのうまさに衝撃を覚えたはいたし、まあ基本的には弁当ね。あそこで差が出る。タコ足ウインナーやら、見るからにうまそうな玉子焼きなど、まあ他人の弁当のうまそうなこと。それにくらべて、日本国旗をイメージした、シンプルかつ色気のないわたしの弁当のまぁ貧相なこと。そういえば弁当のフタかなんかでかくしながら食べてたなはずかしくて。おもいだしたよ。もしかしたらいくつになっても卑屈になりがちな、わたしの人格を形成する一役を買っていたのかもしれない。人格なんて案外そんなもので出来上がったりするものだ。こんにゃろオカン。なんか腹立ってきたな。いまごろ。わたしは、ちょっとした佃煮や漬物だけの、あざやかさにはほど遠い、日の丸弁当をながめながら、よくぞおもっていた。
「どんだけニホンすきなんじゃい」
しかし良いこともあるんだよ。よく「おふくろの味じゃないとちょっと〜」などとこだわりを口にする男や、そのことが原因で本気で家庭がもめてたりするのを世間で耳にしたりする瞬間があると、わたしは冗談じゃなくオカンに感謝する。わたしなんかは、そもそも敷居が低いとこから出発してるもんだから、まあ、だいたいうまいのである。全身全霊込めてこころからおいしいのだ。むしろ「おふくろの味に近づきたいわ〜」なんてブーである。逆にそこで揉めそうである。「きみは、みりん、酒なしで、出す味のクオリティに突入する気なのかい」「出し入りみそだからって、ホンキデダシナシデイコウトシテイルノカイ」
でも厳密にいうと最近ちょっと違うんだよな。世の中においしいものが溢れてて、わたしも相当いろいろ食べてきた。それとやっぱり居酒屋のおいしい料理に舌がこえたのを感じる。ついぞこないだ、チェーン店の居酒屋の料理にあーだこーだいってる自分がいた。ダメだ。
やっぱまた、オカンの料理でも食べて修行したほがいいかな。
いーや、いーや
いまさら敷居はさげられないっちゅうの!

※引越しのため、しばらく休みます。最近、新しい音楽はガンガン聴いているので、書く気はそうとうあります。待ってるひとは待っててくだされ。(今回このような事情のため、あまり見直さず高速で書いてますので、誤字、脱字、意味が通じてないなど、駄文おゆるしくだされ)