やましいたましい

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ばあちゃんにむけて

つい先日、母方のばあちゃんが亡くなった。昼ごはんを食べてる最中に突然心臓が止まったんだという。唖然とした。というかガク然とした。ついこの間会った時は、まぁ100歳はいってるけど元気だったし、まだぜんぜんいけるって感じだったから。
人間は生まれた時から死ぬまで、心臓の脈打つ回数が決まっているのだという。そういうことなのかな。寿命なのかな。喪主のいとこのおじさんも、葬式の最後の挨拶で、明治、大正、昭和、平成とまさに寿命をまっとうしたみたいなことを言っていた。そのおじさんの最後の挨拶が良かった。始めからつまづきまくってたので、何の言葉も用意してないのがすぐ分かった。恥も外聞もなく気持ちひとつで話そうしてる姿が、何とも胸にせまるものがあった。もしかしたら言葉は用意してたのかもしれない。直前になってバカバカしくて捨てたのかもしれない。もしそうなのだとしたら、はたしてそんなこと自分には出来るのだろうか。一世一代の大一番に、あえて頭真っ白のままむかうという、そんな勇気が自分にはあるのだろうか。
最後に、軽く10mはある、大きな数珠みたいな輪っかを内側と外側から全員で持って、その輪の中心にいる、親戚のおじいさんの唄う音頭に合わせて、大きな数珠を廻しながら「な〜むあみだ〜ぶつ」と唄い、何度も繰り返しながら大合唱してばあちゃんをおくった。聞けばその土地の古くからある風習だという。みんな、山形県の片田舎で普段農作業ばかりしてるシャイなおじさん、おばさんばかりなので、はじめは小声で唄ったり、口だけ動かしているだけの人もいたが、中には大声で引っ張っていくおじさんが何人かいたので、序々に場は盛り上がった。オレもはじめてのことだったが、ちょうど目の前にいるおじいさんが大声で唄ってたし、なかなかシンプルでいいメロディーだったので、ほどなくして一緒に大声で唄うことができた。途中、向こうの方にいたおじさんが言った「ほら、大声で唄わないとおばあちゃんがちゃんと往けないよ」という言葉を聞いてからは、いちだんと大合唱になった。オレもそこでスイッチが入った。およそ30分ぐらいで終わったが、まだ足りないと思った。さながらレイブのような感じだった。昔は2時間も3時間もやっていたらしい。なんだかわかる気がした。
帰りの車の中で、なんかいいメロディーだったなと思い出すように唄ってみたら、途端にまわりの家族は大爆笑となった。たぶんおちゃらけたのだと思ったんだろう。しかしオレはぜんぜん本気だった。
だからもう一回唄った。こんどはもうちょっと本気で。
タガなんか外してやる。あともうほんの少しで、叫び声になりそうだ。







ばあちゃん。ほんと長旅おつかれさま。オレからはこの曲を。