やましいたましい

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わかりやすさというもの

北野武は自身の映画のこだわりの一つとして、痛みや痛さを徹底的につたえることを挙げている。例えばヤクザが指を切り落とされるシーンがある場合は、切り落とされた後の生々しい指まで写し、もちろんその後のもだえ苦しむ姿も余すとなく見せるのだという。それが、「わかりやすさ」の上で感動を提示していくハリウッド映画などに対するアンチテーゼでもあるともいう。
ハリウッド映画のわかりやすさとは、ストーリーに入り込ませるために、余計な現実感は全部カットするところにあると思う(いくらストーリー自体が現実味のある話だったとしても)。例えば、正義の味方が悪人を猛烈な勢いでなぎ倒していく勧善懲悪な清々しい映画の場合などは、正義の味方はより正しく、悪人はより極悪に、まるで記号のように配置することによって、より見てるものを物語に入り込みやすいようにしている(最近はより物語に入り込ませるために、ちょい調味料程度のリアルさもまぶしたりしている)。ここで間違ってでも、正義の味方によって殺されていった悪人達にも、実はそれそれ家族があり、その日からその家族たちが路頭に迷う日々がやってくるなどという余計な現実などは描くわけがない。そんなことをしてしまったら、まったくもって興ざめである。観てる者は正義の味方の行為に対して不信感を抱く可能性もあるし、正義の味方そのものの輝きすら失うおそれもあるからである。
一方は表現で夢を与えようとし、一方は夢をみる前に現実をみせようとする。どちらかが正しいとか、どちらが優れてるといった話ではない。


black eyed peas の新作。ここまでいくかというほどのエレクトロな音づくり、もはやblackmusic好きとか、hiphopでもない。全方位に視野にいれてきた。ここまでやるかというほどの分かりやすさ。やっぱり何でもやりきらないと人には伝わらないんだってウィルの意気込みを感じながら聴く。もうエレファンクの頃とは違うけど。まったくもって違うけど。いいと思いますよ。ダフトパンクみたいにオタクッぽくないし。単純にアガるにはもってこいのいい曲。展開もロックっぽい、80年代のU2なんかなぜか思い出した。そういうカラクリなのかなもしかしたら。ファーギーエロい。なんですかあの出だし唐突にあらわれるTバックなお尻!見るよね当然。久々の集中力出たこれ。もうどこにあったんだってくらいの集中力。もっと他でつかえないかって考えるわたし。いやいやエロの魔力ですから。
このPVでもこの曲の良さを引き出すために、ド派手な衣装、見たこともない三輪バイク、飛び交うアルコール、ソファーからのけぞり落ちる人、乱痴気騒ぎなどが記号のように配置され、こんなパーティーライフな曲とは普段全く無縁な生活を送っているわたしにも、思わずはしゃぎまわりたくなるようなわかりやすさがあると思います。そしてI gotta feeling that tonight’s gonna be a good night(分かるんだよね、今夜はきっと楽しくなるって)と繰り返す。何の脈絡もなく。脈絡などは現実に飽き飽きした聴き手の想像力で補うためにはむしろ必要ないのだ。その証拠に現在もっかのところ全米チャート23週連続1位。すさまじいです。
ただ、このわかりやすさというのは、ある意味危険でもある。現実離れを起こさせ、大衆を誘導し、時には暴力につながるヤバさを秘めている。なぜなら、現実の世の中はちっともわかりやすくない。むしろもっと奇妙で複雑で、ある種グロテスクでもあり、始まりも盛り上がりも終わりもない世界が、ただとりとめもなく雑多に放り投げられているだけだと思うからだ。
もしかしたら北野武の映画の手法というのは、この危険性を秘めた「わかりやすさ」に対するアンチテーゼなのかもしれない。


こんなストレートなメッセージが切実に受け止められているだと思うと、なんか泣けてきます。

The End

The End

Elephunk

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