やましいたましい

音楽を中心に服、本、生活の話題など

週末の物欲〜溶解するわたしの感覚〜

週末の土曜日、妻と柏の大型ショッピングセンターに行く。店内の一角のとあるペットショップで足が止まる。ショウウィンドウ越しに、たらいのようなものに何匹か押し込められてるチワワに興味がいく。眺めていると、横から何かを抱きかかえた店員が現れる。「ほらぁ、かわいいでしょ」見ると、これまたとんでもなくかわいいチワワだ。万人が万人かわいいといいそうな満面の愛嬌、かわいいという字を辞書で引いたらこのコの顔があらわれそうな、そんな全方位的に好かれそうな面だ。どうぞといわんばかりに、店員がわたしに預けようとするので、わたしはそのチワワを抱きかかえるハメになった。何とも不器用に抱きかかえていると、矢継ぎ早にその店員の説明がはじまる。「このチワワはほんとに出来がいいんですよ〜」顔のバランス、鼻の色、おとなしい性格。なかなかこんないいコいないですよ。とわたし達にグイグイせまってくる。そのあまりに愛くるしい存在にわたしはおもわず聞いてしまう。「おいくらするんですか」「えっと35万です」・・・35万。そしてショウウィンドウの中にいるチワワは11万。そもそもわたしは、動物を買うということじたいあまり慣れてはいない。ペットショップを離れてからいった「夫婦でいるとターゲットにされやすいのよ」という妻のことばを尻目に、わたしは帰り際までその「35万の出来事」が頭の中でグルグル廻っていた。
動物を買うということ。今では当たり前なのかもしれないが、わたしにはやはり違和感がある。やはり慣れというものなのか。たとえば水にしてもそうだ。今では水を買うということは、ごくごく当たり前のことになり、わたしにしてもさすがにそうなのだが、わたしの小さい頃は水など売ってはなかった。水は蛇口をひねれば無限に出てくるものであり、買うということじたい何かバカらしいことのようであった。だから水が店の店頭に並ぶことが普通になった時でも、わたしはギリギリまでなんとか抗おうとした気持ちがあったし、お茶に関してもそうだった。似たような感覚があったとおもう。それがどうだ。いまではむしろ後味がしつこいジュースなんぞよりも、わたしが積極的に買っているのは水やお茶のほうだ。そういうことか。そういうことなのか。動物を買うということに関しても、単なるわたしの稚拙なこだわりということなのか。
若い頃はわたしはほんとにお金がなかった。だから若い頃ほしかった本物(一流のもの)は買えなかった。よく考えれば子どもの頃からそうだった。廻りが一流の物を身に着けたり愛用しているのを見ながら、わたしはそれには到底およばない廉価品で納得していた。それはもう、いたしかたないことだと理解していた。ただそのことからわたしはいつしか、一流の物などわたしなんぞには見合わないとでもおもうようになったのだろうか。単に貧乏性が板に付いたのか。わたしが20代に本気で音楽活動をしていたときも、廻りの音楽仲間がありえないローンを組んで何十万もするいわゆる本物のギター手に入れ夢中になっている中でも、わたしは5万ぐらいまででなんとか見合ったものをと、あらゆる中古楽器屋を駆けずり回った。端から一流の物など手にしようともしなかった。
「チワワを買ったとおもったら、オールデンなんかかるく買えるんじゃない」と妻がいう。オールデンとは、わたしが前から気になっている革靴のことだ。つい最近、日常使用していた革靴のつま先に穴があいて、どうしようかとおもっていたところなのだ。「次、買うとしたら、もうオールデンしかないとおもうんだよね」「じゃあ、買えばいいじゃん!」「いや、どうでしょう、それ、どうでしょう(長嶋風)・・」「丸の内とかに行けば売ってそうじゃない。今から買いに行こうか!」「いや〜どうでしょうか、う〜ん、どうでしょう(長嶋風)・・・」いまいち踏ん切りがつかない。買えなくはないが、贅沢だとはおもう。いや、わたしにしては非常に贅沢だとおもう。オールデンは物がいいだけに、そこら辺の革靴なんかより、びっくりするほど高いのだ。
若い時は、時間はあるがお金が無い。苦労してなんとかお金が入るようになると今度は時間がない。そして、いつしかようやくお金も時間も手に入るようになる頃には、もうセンスがなくなっている。その情熱すら失ってしまう。これは、才能のある芸術家の虚しい末路を、誰かが何かの本でいってたことだが、なんともさびしい話じゃないか。わたしは、人生の興味すら失ってしまう前に、なにかやり残したことをやらなければいけないような気もしている。それがこの一連のことだとは、ついぞおもわないが、最近とみにそうおもっている。それはもうとっくに遅すぎたことなのかも知れないけれど。
「よし、チワワもオールデンも買うぞ、ついでにマーチンのビンテージ(高級ギター)も買っちまうか、この勢いで」
と冗談めいていってみたら、かなり妻がのけぞっていたので
あわてて訂正しておいた。