やましいたましい

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コリーヌ ベイリー レイの新作

あの日の海

あの日の海


おそらく、センチメンタルなアルバムになってるんじゃないかとおもってた。
彼女の身に起こった、プライベートな不幸のことも知っていたし、約4年もインターバルがあいたのはそのためだろうとさっしはついていた。わたしはそれならそれでもいいとおもった。彼女のソングライティングは信用していたし、なによりちょっと他にはない繊細でキュートな声がわたし大好きなのだ。ズブズブの自己憐憫でもいいじゃないか。わたしはそれでもいいとおもってた。



コリーヌの新作。とてもよかったです。さまざまな挑戦のある曲が多かったし、70年代ソウルファンクっぽい曲や、彼女の下地であろうオルタナロックな曲(彼女は十代の頃、バンドで活動をしている)、びっくりするくらいポップな曲もあった。やはり、感傷的な曲も何曲かはありますが、それに引っ張られてない、バランスのとれたいいアルバムだとおもいました。すばらしいとおもいますね。なにかアナログな音にこだわっているような感じで、ドラムの音がメチャカッコいいです。なんかバランスギリギリぐらい音がでかい。わたしもリズムは大好きなので、mixさせるとわたしもこうなっちゃいそう。「気持ち分かる」とおもいながら聴いていました。だからといって彼女の声が目立たなくなるわけはなく、むしろしなやかにリズムに乗っかっている。そういう意味ではバランスはいいです。
彼女はここでかなりのカードを切ってきたとおもう。それはかならずや次につながるとおもうし、次のアルバム、かその次あたりにそれは結実するような予感もあります。だから彼女はできるかぎり、これからも音を届けてほしい。わたしはやはり聴き続けようとおもってます。



彼女がこの新作を出すにあたり、メディアが各方面で「コリーヌが悲しみを乗り越えて帰ってきた」「いや、乗り越える必要などない」などというような話題の書き方をしているが、わたしはそれに得もいえぬ違和感をおぼえる。わたしが先に書いた予測も、メディアのこういった情報があったからで、この新作を聴き終えて、さらにその違和感はつよくなった。どうも今ひとつ納得できないのだ。なんの予備知識もなくこのアルバムを聴いて、はたしてそういったイメージをもつ人がいるのだろうか。彼女の音楽的な成長をうかがえる非常にかっこいいアルバムですよこれは。
われわれは、人に突然起こったアクシデントを受け止める為には、それ相応の納得できる理由をさがそうとする。理由を見出すことは、人を落ち着かせる作用があるからだ。ゆえにわれわれは、自分がおもうシナリオを完成させようとしてしまう。ついつい理由をさがしてしまう。そうしないと納得出来ないのだ。しかしそれはこちらが勝手におもっていることで、当の本人からすれば、時には甚だ迷惑な話なのかもしれない。
かつてコピーライターの糸井重里は、妻である女優の樋口可南子に、映画でのベットシーンや、ハダカの写真集を出すことに対して、恥ずかしくないのかどうか聞いたことがあり、そのとき彼女はこう答えたのだという。
「恥ずかしいわけないじゃない、表現に身をささげてるんだから」